巻頭インタビュー

「二百二十兆円被害」は空論

――二百二十兆円という南海トラフ地震被害予測をどう考えますか。
  上田誠也(東京大学名誉教授)
1929年東京生まれ。52年東京大学理学部地球物理学科卒業。
東大助教授などを経て69年地震研究所教授。理学博士。
日本学士院会員。日本のプレートテクトニクス研究の第一人者。

 上田 数字が正しいかどうかは誰にも検証できない。東日本大震災の二十一兆円という被害額を考えた場合、人口分布などを見れば考えられないことはない数字だが、あくまで机上で積み上げたもの。こんな数字は、いかようにも操作でき、四百兆円にすることも容易だ。東日本大震災の時に「想定外」という言葉が飛び交ったが、それを避けるために数字を大きくしたのではないか。官僚の誘導で、学者がもっともらしい数字と根拠はつくれる。

――日本地震学会は震災後に「敗北宣言」をしました。

 上田 そもそも学会の「地震学の敗北」という総括自体がピントずれしている。彼らは長年、予知に依拠した予算を確保しながら、短期予知研究の実績はほぼゼロに等しかった。つまり地震を予知するつもりがなかった彼らは、敗北するよりも前に土俵に乗っていなかった。にもかかわらず「短期予知は不可能」という反省は、従来の地震ムラの主張と全く同じことを繰り返したに過ぎず、総括になっていない。

――地震ムラは変わっていませんか。

 上田 悪化しているとさえいえるだろう。反省の「ポーズ」によって、体制を維持したまま、従来通り予算を受け取っている。むしろ復興予算や地震対策費が確保しやすいことに乗じて焼け太りしている。南海トラフ地震の津波検知のための機器設置予算などは大きな無駄のひとつ。東北沖と異なり、南海トラフ地震による津波は数分前後で襲来する。センサーで津波を検知したところで手遅れ。一定の人数は完全に逃げ遅れる。ただ、こう言うと、防潮堤でこれを抑えようという政治家に口実を与えそうだ。ハードがいかに無力かということは前回の震災で明らかになっている。

――地震ムラの問題点はなんですか。

 上田 責任をとる人間がいないことだろう。仮に、今回の二百兆円超という被害予測額が外れたところで、官僚のクビ一つ飛ぶわけではない。私は長年「地震ムラ」と対峙してきたが、公務員をクビにすることのできない現在の制度が日本の根本的病理であると、身に染みている。責任の所在を曖昧にするシステムの中で、官僚と御用学者が結託する。中央防災会議や地震調査研究推進本部などには、文部科学省や国土交通省にとって都合のいい御用学者が集まって、無意味な数字をつくる。

――どう変わるべきですか。

 上田 予知を匂わせて予算を確保し分配する「利権装置」となっている現在のムラは一度壊さねばならないだろう。勘違いしてはならないのは、世界一の地震国である日本で、研究をやめろと言っているわけではない。既存のシステムのなかで巨額予算を貪るのでなければ、今の地震ムラの研究者がしている基礎的研究も、当然行うべきだ。まず、現在の地震学が「予知」の名の下に、他分野と比較して異常なまでに「優遇」されていることを自覚しなくてはならないだろう。

――国民は何を信じればいいですか。

 上田 煽られた数字ではない事実を見なくてはならないが、これはメディアの責任も大きい。官僚や御用学者がつくった数字をメディアがセンセーショナルに報じることで、地震ムラは潤沢な予算を確保できた。この状況は今も変わっていない。メディアは地震ムラに加担していることを自覚すべきだ。
〈インタビュアー 編集部〉
Source: 「二百二十兆円被害」は空論(選択, 2013年4月号)
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