保健物理, 43 (3), 171~172 (2008)

巻 頭 言

地震の予知とラドンのことなど

上 田 誠 也

 図らずも貴誌に巻頭言をお書きすることになりました。寡聞にして,そのお誘いを受けるまでは,貴学会が放射線を対象とする学会であることも知りませんでした。放射線となると,まず核爆発が頭に浮かびますので,巻頭言には不適切かもしれませんが,二つだけ,長年疑問に思っていることに触れたいと思います。1)終戦後,広島には今後 何十年も人は住めないと聞かされ衝撃をうけたが,ほとんどすぐに復興した。これはなにが間違っていたのか? 2)核武装をしている主要国が,居丈高に北鮮やイランに核放棄をせまるという構図がどうして通用するのか?うまくいかないのは,そのせいであろうに。
 私の専門の方では,放射線はニュートリノとかミューオンなどの宇宙線や,岩石に含まれるウランなどからのそれであり,地球内部や地球史についての情報源です。ラドンもそれですが,これが阪神大震災(1995)直前に異常に大量放出されたことを発見されたのが安岡由美会員達のグループです。六甲山の麓の神戸薬科大学で何年にもわたって実行されてきた大気ラドン濃度観測の大成果でした。科学研究におけるserendipityのひとつだったといえるでしょう。私どもはこの成果には大いに感銘をうけました。ところが,その翌年以後,この観測は中絶されたとのことです。地震予知とは関係ない予算でおこなわれていたが,それが終わったからだそうです。まあ,当たり前の事ともいえますが,成果の重大性に即応しての予算措置がとられなかったのは残念です。かかる観測は,長年続ける事が大切だからです。薬科大学が地震予知観測を継続するというのは,我が国の体制ではどうしても正当化できないのでしょうか。原子力施設の安全にも関わりの深い貴学会としてはいかがでしょう?
 話は地震予知になってきましたが,これについては訴えたいことがあります。どなたにも関わりの深いことだからです。それは,我が国では,「“短期地震予知”は現在の科学では困難であり,従ってそのための研究も無意味である」とされているということです。薬科大学のみならず,いずれの地震学の研究機関においても,”短期地震予知“をめざす研究はサポートされないのです。私を含め少数の個人は研究放棄をしてはいませんが,この種の研究は資金なしにはとても困難です。科学研究費にはその応募枠さえないのです。つまり,地震の短期予知研究はほとんどなされていない。
 地震予知のうちで,直接我々の生命を救うのは,数日とか数時間まえに発信される“短期予知”です。しかし,我が国では,一度もこれに成功したことがありません。成功どころか,発信されたこともない。さらに,驚くべきことに,それをしようという努力すら行われていないのです。「がんは治しにくいから,研究をやめよう」などということがありうるでしょうか?
 このような事態になった経過を振り返ってみましょう。1960年代以来,一貫して地震予知研究計画を担って来たのは地震学者集団です。それはいかにも当然のことと思われましょう。計画はまず予算・人員の大部分を大規模な地震観測システムの構築・維持に投じました。これも当初の措置としては当然のことでした。その後も,超多地点での, 広帯域地震観測網,GPS 観測網などへと事業は増強し続け,結果として世界最高の観測網がつくられ,地震学は長足の進歩をとげつつあります。しかし,これは“短期地震予知”達成という目的にとっては最適の道ではなかったのです。地震計は起きた地震を記録しますが,まだ起きていない地震のことは記録しません。短期予知のために必要不可欠な情報―前兆現象―を得るには地震以外の観測もしなければならないのです。神戸薬科大学のラドン観測がその典型です。この簡単明瞭な事は,はじめからわかっていたのですが,地震観測偏重の現体制は既得権益化し,他の視座をとりあげることを著しく困難にしてきたのです。道路特定財源の話にも似たこの状況はもはや,当然とはいえません。
 私は東大地震研究所に長年勤務しましたが,プレートテクトニクス関係の研究に終始し,地震予知に関心を持つに至ったのは,定年も間近の1980年代後半です。地震観測主体の予知研究が“短期予知”には手が出ないまま,5カ年計画を重ね,次第に焦りが募ってきたのを横目で見ていました。無責任のように見えるかもしれませんが,自分の研究が面白くて仕方がなかったのです。そんなところに,阪神大震災(兵庫県南部地震)が起きた。予知計画は何をしてきたのか?との批判は内外に厳しく,いろいろのレベルでの計画の再評価が行われましたが,その結論が,先に述べた「短期予知不可能論」だったのです。勿論,結論はそうはっきりとは言わない。「長年の研究で地震学は進歩し,地震の起こり方が解明されてきた。しかし,信頼できる前兆現象はついに捉えられなかった。さしあたり,前兆探し―すなわち短期予知―よりは,基礎研究に力を注ぐべきであろう」というのでした。これはいかにも正論のようであり,予知研究の予算はかえって増えたのです。「予算は増えたが,“短期予知”はやらなくてもよい。」となったのです。本来なら「今後は前兆現象の基礎研究にも力を注ぐべし」というのが,当然の結論であるべきと思われたのですが,事実はその逆でした。それはなぜか?ここには二つの誤りがあったと思います。1)再評価自体が地震学者主導だったので,前兆検知努力を実際はしていなかったにもかかわらず,「それは不可能」と逃げた。2)しかも,それまでの経過で地下水位,ラドン放出,電磁気異常などいくつかの有望な前兆現象が見いだされていたのに,それらをいずれも「聞き置く」程度で無視した。
 こうして,2000 年には「予知しない地震予知計画」とも言うべき大計画がはじまり,地震観測網のますますの拡大・充実が進められています。「地震予知」は研究の主項目からはずされ,研究費すら出なくなった。しかし,このことは国民の皆さんはほとんど知らない。なにしろ,地震予知の名目で,毎年数百億の国費が投ぜられているのですから,“短期予知研究”が止まってしまったなど,想像すらできないのではないでしょうか?しかし,イラン・スマトラ,四川などの海外の大地震,十勝沖,中越,能登,中越沖,さらには岩手・宮城など被害地震を目の当たりにすると,「予知しない地震予知計画」とはいかがなものかとなるのも,当然のなりゆきでしょう。
 さすがに,2009 年度からの次期計画では,基本的考えにいくらかの変化の兆しがみられるようです。その案文には,「地震・火山噴火を予知することが極めて重要である。」とか,「今後は,予測科学的視点を重視していく必要がある。」などという当たり前だが,禁句だった文言が初めてみられるのです。地震学者諸賢の間にも何らかの意識のイノベーションが生まれつつあるのかと,見守ってゆきたいところです。
 私の考えでは,“地震短期予知”は容易ではないが,「科学」の正道を歩みさえすれば必ず成功するものです。私達のグループでは,電磁気的先行現象を捉えることで,成功は射程内にあるとの具体的展望を持っています。短期予知の成功は,爆発的な人口増加・経済発展途上のアジア・中東・中南米の地震多発地域に対して,わが国の科学がなしうる最大級の国際貢献となるでしょう。


上田 誠也(うえだ せいや)
1929年11月28日東京生。1952年東京大学理学部地球物理学科卒,1963-1968年同学助教授(理学部地球物理学科),1969-90年同学教授(地震研究所),1990-2007年東海大学教授,1996-2002 年理研地震国際フロンティアディレクター,1990年東京大学名誉教授。日本学士院会員,全米科学アカデミー外国会員,ロシア科学アカデミー外国会員。

Source: 保健物理, 43 (3), 171~172 (2008)

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