志田林三郎「地電気の説」


  • 日本の電子技術の先駆者・志田林三郎(科学・技術史コレクション)
  • 「去華就実」と郷土の先覚者たち 第11回 吉原政道 | 「去華就実」と郷土の先覚者たち 第26回 志田林三郎(上)(宮島醤油)
     明治6年(1873年)8月、工学寮の第一回入学試験が行われ、20人の官費生が選抜された。わが国初の工学エリートの誕生である。高峰譲吉、志田林三郎らに交じって、耐恒寮出身者からは曽禰達蔵と麻生政包の二人が選ばれ、入寮した。(中略)
     工学寮における教育の特徴は、徹底した現場教育、実用主義である。国力を急速につけるという明治政府の方針に英国の学界が協力したもので、向学心に燃える若い日本人たちに工業技術の基礎を叩き込むために、英国政府はかなり優秀な、各分野の若い学者たちを送り込んだ。明治9年(1876年)、英国から鉱山学者ジョン・ミルン(John Milne)が来日し、工学寮教授となる。まだ25歳であった。翌年、工学寮は工部大学校と名を変え、教育機関として充実してゆく。
     ジョン・ミルンは工部大学校で鉱山学と地質学を教えた。ミルンの現場主義は徹底している。吉原はミルンの指導のもと、日本全国を歩いて、鉱山や地質、地形の調査研究を行った。明治10年春から13年春にかけての吉原の実地研修記録が残っている。
  • 特別企画展「わが国の電気通信の先駆者 志田林三郎 生誕150年展」 | 志田林三郎のあゆみ(逓信総合博物館)
  • 地磁気事始め(SGEPSS60周年記念学会史)(若井 登, 地球電磁気・地球惑星圏学会会報第197号)
     明治21年に創設された電気学会の設立総会(会長は逓信大臣榎本武揚)において、幹事の志田林三郎は歴史に残る名演説を行った。内外の電気工学の現状から始まって、無線通信時代の到来、テレビジョンの発明など的確な将来予測にまで言及した有名な演説である。
     本文の結びとして、その演説の中から、本文の主題に関連する部分を原文のまま紹介する。「地電気地磁気空間電気の如きは相互いに密接の関係を有するのみならず地震、太陽の黒点、極光及び地球上の気象等にも相関係するものなれば、地電気空間電気の変動等を観測して、或いは地震を前知し或いは穀作の豊凶を予知する方法の発明を希う。」


    * 電氣學會雜誌 Vol. 1(1888) No. 1 | 地震予知の可能性を最初に唱えた人?(水谷 仁) | 志田林三郎博士顕彰会 【演説の音声ファイルあり】
  • Prof Rinzaburo Shida (University of Glasgow) | The International Heritage Project supports the East Asia GRAB Lunch (University of Glasgow Library)

  • 先見の人 志田林三郎の生涯 百年前に高度情報化社会が見えていた天才(信太克規)
  • 志田林三郎傳 日本電気工学の祖(電気学会)| 電気工学の祖、伝記出版 多久市の志佐さん(佐賀新聞, 2013.5.12)
  • 2013年8月 東京 さようなら ていぱーく(前編)(東京周遊日記-Around the world-)
  • 東京ソラマチに「郵政博物館」-「ていぱーく」所蔵品引継ぎ展示(すみだ経済新聞)
  • 志田林三郎(1)世界初の無線実験…携帯電話、100年後の日本を予言した“神童”(産経)
  • 未来の電気社会を予測した伝説の演説(東京大学工学部)
  • <多久物語>志田林三郎のお土産 婚約者にブレスレット(佐賀)
  • 地電流の観測器が現存 16日から多久市郷土資料館で公開(佐賀)
    明治維新150年記念事業 特別企画展『志田林三郎~幕末維新を駆け未来を予見した若き電気工学者~』 [pdf] | 「地電気を自記する機械」復元機を納品しました(スタジオバニマ)


    [志田林三郎]